パソコンボランティア・カンファレンス'99
基調提案

日本障害者協議会(JD)
情報通信ネットワークプロジェクト


1)いくつものドラマがはじまっている

 「頸椎損傷の患者さんがインターネットをしたいと言ってるけど、だれか教えてくれない?」と、新宿に近いある地域の世話役さんから相談があった。インターネット上の「パソボラ・メーリングリスト」に助けを求めたところ、「自転車で行ける距離だから」と、大学院生のIさんが応えてくれた。

 初対面のIさんは、ムーミンの友だちのスナフキン似だといい、私はドラえもん風だとメールして近くの駅で待ち合わせ、寝たきり状態のSさんのお宅を訪ねた。

 水泳の事故で頸椎損傷となったSさんは元銀行員。6年ぶりで自宅でお正月を迎えることができるそうだ。ベッドサイドには「意思伝達装置」としてDOS版のパソコンがあり、呼気スイッチで操作する。WINDOWSかMAC版にパソコンを変えることができれば、インターネット利用も可能になるが、「一生に一度きり」という「意思伝達装置」給付制度の制約がある。話をしていくうちに川崎に住むお兄さんがエンジニアで、現在のパソコン環境も手がけたとのこと。以後メールでお兄さん含めて技術情報を交換し、さらに「パソボラ・メーリングリスト」上で専門家のアドバイスを受けながらサポートがすすんでいる。?

 お母さんや地域の知人、訪問看護婦さんたちとお花見に行くのが先か、インターネット・デビューが先か、Sさんのあたらしい挑戦がはじまりました。

 私たちは、こうした「パソコンでこまっている障害者をサポートする」とりくみを、「パソコンボランティア(略称 パソボラ)」と普通名詞で呼ぶことにしました。このとりくみは年を追うごとに各地に広がっています。

2)「パソコンボランティア」を流行語大賞に!

 パソコンの普及により、情報の電子化によるメディア革命は静かに、しかし急激に大衆化しました。しかし、障害のある人にとって、パソコンは単に使える使えないの趣味のレベルではなく、自立と社会参加へ可能性を拓く決定的な道具です。

 ところが、厄介なのがパソコンで、インターネットも同様です。さらに障害の種別や程度、環境などによってもさまざまな困難があります。必要なのは、使いやすい機器と共に、困ったときには自転車で駆けつけてくれるようなサポートしてくれる人なのです。

 80年代後半〜90年代前半にかけて、「パソコン通信の時代」といえる創生期の活気あふれる数年間がありました。トーコロBBSと「在宅講習事業」、みんなのねがいネットの「情報・コミュニケーションは人権」宣言、プロップステーションの「チャレンジドを納税者に」、杉並こことの「地域に根づくふれあいの場づくり」などなどは、今日につづく、大事な視点の芽生えでした。そして、そうした活動の中で、「パソコンボランティア」は、必要に応じてそれぞれの草の根BBSや地域グループで生まれていたのです。人と人とがつくってきた小さな歴史の上に、現在の活動の源泉がありました。

 1993年、国連総会は、障害者の機会均等に関する基準規則を決議。最重点は「アクセス」とされ、「どのような障害を持つ人に対しても、政府は、情報とコミュニケーションを提供するための方策を開始すべきである」と明快に示しました。

 わが国においては1995年、郵政省の電気通信審議会が「情報アクセス、情報発信は新たな基本的人権」と最終答申。それを受け、郵政省は、高齢者・障害者の社会参加支援のための情報通信の在り方に関する調査研究会を設置し、以後毎年テーマを設けた研究会を厚生省と合同で開催しています。平成10年度版の「障害者白書」(総理府編)は、「情報バリアフリー」社会の構築に向けてをメインテーマに編集しています。

 私たちは、「パソコンボランティア」のとりくみをより広げるために、よりパワーを持つために、草の根BBSの交流を基礎にして「パソコンボランティア・カンファレンス'97」(1997年3月15、16日)をはじめて開催しました。会場となった早稲田大学国際会議場には、車椅子利用者50名含め、600名がつどい、会場からは「ぜひ、つづけてほしい」の声があがりました。わずか2年前の雨の日のことです。

3)ひろがる「パソボラ」の輪

 98年は「NAGANOパラリンピック」の年でした。その「文化プログラム」として「パソコンボランティア・カンファレンス'98」(1998年3月6、7日)はメルパルク長野で開催され、雪の中を300名が参加し、埼玉、群馬、静岡、長野、愛知、広島、島根、福岡などに続々とパソボラグループが誕生していることが報告されました。湯田中温泉に会場を移した全国交流会では、80名が友情の輪を広げました。

 この広がりの背景には、インターネット上のバーチャルな情報センターと相談センターの役割を果たしている「パソボラ・メーリングリスト」があります。現在250名が参加者して、SOS情報のマッチング、技術や活動交流などが日々活発に行われています。

 一方、東京都や埼玉県、横浜市といった行政機関や日本障害者リハビリテーション協会などが障害者を対象にしたパソコンやインターネット講習会を企画することもはじまりました。

4)地域の中へ、そして専門性との連携を

 脳性マヒのFさんは年齢は50歳強。左手の指が動くので、ワープロを使って原稿を書いてきた。ところが、長い間の脳性マヒによる不随意運動によって頸椎を痛め、二次障害になってしまった。どうしてものときは、口述筆記してもらっているが、最近出た音声入力可能なパソコンは自分にも使えるだろうか。使えるものなら習いたい。

 「パソボラ・メーリングリスト」で探したが、訪問できる人が見つからないため、ひと月ほどたった頃、千葉の県営住宅の1階にあるFさんのお宅を訪ねた。二次障害の頸椎の痛みはさらに激しく、立位姿勢は食事のときぐらいしかとれないとのこと。パソコンの話以前の医療やリハビリの情報がほしいと聞いて、無力感いっぱいで帰った。

 その後Fさんは、障害者団体のヨコのつながりで作業療法士団体で丁寧なケアをしてくれることになり、体調も良く、桜の咲く頃にはパソコンの話をしたいと元気な電話をもらった。

 課題は、もっともっと、地域のなかに「パソコンボランティア」が広がること。また、地域の中の専門(医療、リハビリ、福祉等)機関(人)との連携です。一方、長期入院中の方など病院や施設で生活している人たちのパーソナルな通信環境の改善も大きな課題です。

 現在、パソボラの輪は「地域」の視点を大切にしてさらに広がり、わかっているところでも埼玉県坂戸市、所沢市、県中南部、神奈川県川崎市、横浜市などで「地域パソボラ」があいついで産声を上げています。こうした動きは、地域内のさまざまな人のつながりを太くし、より密接なサポートを実現していくこころみとして、今後ますます重要になっていくでしょう。

5)行政ができること、やるべきこと

 活動すればするほど、「人の支援」の大切さを感じます。それととともに、安定した財源や組織をもてない「ボランティア」ゆえの限界も感じます。しかし、行政の責任でつぎのことが改善されるならば、「パソコンボランティア」のとりくみは確実に前進すると確信しています。

1)制度の改善
 ○日常生活用具にパソコンとネットワークが利用できるような枠を
 ○意思伝達装置、環境制御装置の給付制度に「バージョンアップ」の実現を
 ○強制力のある「アクセシビリティ指針」の作成
 ○「リハビリテーション・エンジニア」などの専門家の育成

2)「場」づくりへの支援
 ○医療やリハビリ、福祉等の専門機関(人)との交流、コーディネート
 ○活動の詰め所、講習会会場、機材置き場など「場」の提供

3)サポート活動(ソフト面)への支援
 ○講習会やカンファレンスなど諸行事への助成
 ○パソボラ・リーダー育成事業等の助成
 ○パソコンボランティア支援センター等への助成

6)新世紀にむけて、「すべての人のために」

 「パソコンボランティア」のとりくみを新世紀にむけて発展させるため、「パソコンボランティア支援センター」の活動をスタートさせたいとおもいます。

 「パソコンボランティア」はまだ産声をあげたばかりのとりくみです。そのためパソコンで困ってる障害者が、どこにSOSを届けたらいいのかさえ、知られていません。そのために「パソコンボランティアの相談窓口」を設置し、より多くの人たちに知ってもらう必要があります。

 また、障害者からのSOS情報とパソボラ希望の情報とのマッチング機能を向上させること、さらに、パソボラ活動のケースを「カルテ」化し、記録し、分析し、必要な技術やノウハウの蓄積につとめます。

 そのため、上記の「パソコンボランティア支援センター」の準備室を当面、日本障害者協議会(JD)事務局に設置します。そして、さまざまな活動をフィードバックさせながら、人と人とをつなぎ、新世紀にむけて、まさに「すべての人のため」のテクノロジーの発展と共有をめざしましょう。

 ○情報アクセス、アクセシビリティの保障は現代の人権
 ○自転車で訪問できる地域にパソボラグループをつくろう
 ○専門家(医療、リハビリ、福祉等)との地域での連携を強めよう!
 ○行政はパソコンボランティア活動を支援せよ!

      


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