障害者自立支援法訴訟 さいたま地裁第1回口頭弁論 意見陳述
原告 新井育代 補佐人新井たかね
37年前の春分の日、育代は「すっとんきょうな泣き声ね」と、助産師さんから生まれて初めての言葉をかけられました。
オギャ−、オギャ−と続けて泣くことができませんでした。
看護師さんからは「つねっても泣かないんですよ」といわれ、頬が赤くなるまでつねられても、泣き声ひとつあげませんでした。
あの時の育代の頬の色は今も私の瞳の奥に残っています。
哺乳力も弱く、呼吸も上手にできず、いまにも命が尽きてしまうかと思い、
夫と私は「育って欲しい」と願いを込めて「育代」と名前をつけました。
育代は,生後4ヶ月を過ぎても、首も座らず、目、耳の反応もありませんでした。
5ヶ月の時「脳性小児麻痺」と診断されました。
泣いて伝えることもできない育代の将来をどう考えたら良いのか、思い悩みながら、
私は上手にミルクの飲めない育代を、一日中抱いて、昼も夜もなくミルクを飲ませていたように思います。
3歳の夏「発達すると信じること。集団の場に入れること。そうすれば生活リズムができ、健康につながり、必ず発達につながる」
と示唆してくださる方に出会うことができました。
私は、市立の通園施設に「通わせて欲しい」とお願いにいき、断られても、断られても、足を運び、
ようやく入園が許可され、親子で通園しました。
通園当初、育代はミルクだけの食事でしたが、
私は,小さなまな板や、すり鉢を持っていき、給食に出されたものを刻んだり、つぶしたりして食べさせました。
すると、育代は,徐々に、徐々に食べられるようになり、
卒園するころには、咀嚼はできないものの、何でも食べられるようになりました。
毎月40度の熱を出していたものが、ぐっと少なくなりました。
そんな育代の確かな発達をみて、私自身も、育代の顔をのぞき込んでは涙を流していたものが、
顔を見ては笑える親になっていました。
*
その後、養護学校、通所施設を経て、30歳の時「障害者支援施設大地」が暮らしの場となりました。
ここで育代は「かけがえのない命を大切にし、その命を輝かそう」と支援を惜しまない職員集団に恵まれ、日々の暮らしを築いています。
現在の育代の状況を申しあげますと、食事はミキサー食。
液体を飲むことが難しいため、寒天やゼラチンで麦茶や紅茶などを固めての水分補給。
排泄はオムツを使用しており、二日おきに浣腸。
入浴は抱きかかえてと、すべてに介助なしには生きていくことができません。
そういう状況にあっても、この37年間、教育、福祉の専門家集団に恵まれ、育代の命は本当に、豊かに育ててもらってきたと思います。
この写真を見てください。育代のベストショットです。
育代の健康を守りながら、育代らしく育って欲しいと、願いを持って取組みを進める職員の方たちが、
育代の手にじょうろを持たせてくれました。
育代の周りに築かれてきた豊かな人間関係、
信頼関係は育代にとってかけがえのない財産となっています。
育代はきっと生まれてきて良かったと思っているに違いありません。
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そう思えてきたところに、障害者自立支援法が立ちはだかりました。
区分認定調査を受けるなかで、調査が進むに従い、生きていることが否定されるように思え、どうしようもなく涙が零れました。
育代のできること、そして願いや希望を積み上げてきた、これまでの育代の歩みに対して、
この法律は、できないことを積み上げ、生きる希望を絶ってしまうものに思えました。
施設報酬の日払いについてもそうです。
昨年9月、育代は、これまで経験したことのない病状で入院を余儀なくされました。
人工呼吸器を付けるかどうか、気管切開は等 決断しなければならない厳しい状況でした。
日常、親身になって支援してくれている施設と職員に相談に乗って貰いたい、病院との連携を図って貰いたいと願うところですが、
日払いということは、それを望んではいけないことです。
人は生きている限り、病気にもなり、けがもします。
その間、施設が待っていてくれなければ,育代はどこに戻るのでしょうか。
施設の報酬の日払いは人間に対する対応でしょうか。
強い憤りを感じます。
さらに、親の私たちも年金生活となった今、障害者自立支援法になってからの経済的な負担は厳しく、
その上、夫は二つもの癌を患い、闘病中です。
今後の暮らしがどうなっていくのか、とても心配になります。
そして、誇りを持って福祉現場で働いてきた方たちが、劣悪な労働環境の中で体を壊し、将来に不安を抱え、職場を去っています。
私の周りにも数多くいます。
福祉労働には専門性と、継続・蓄積していく体制が必要だと思います。
障害者自立支援法はまったく反対の考えのようです。
*
3年前、私は育代に代わって、障害者自立支援法が採決されようとする委員会を傍聴しました。
車椅子の方、白い杖を持った方、精神障害の方、知的障害の方たちが大勢駆けつけ、傍聴席に入りきれませんでした。
「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」と訴えましたが、耳を傾けることなく強行採決してしまいました。
あの光景は私の脳裏に鮮明に焼きついています。
傍聴席から、怒りの声とともに聞こえてきた泣き声が、今も耳について離れません。
社会的に弱い立場の人たちを目の前にしながら、
その人たちの願いを踏みにじることが国の最高機関で平然と行われたことを、
決して忘れてはならないと今日まで胸に深く抱えてきました。
知的障害が最重度の育代は、意志を表すことが困難なため、選挙の時、1票を投じることができません。
障害者自立支援法の影響をもろに受ける育代が1票を投じられないことを、どんなに悲しく、苦しく思ったか想像していただけるでしょうか。
障害を持つ人の権利を守ることは、周囲の者と、政治と行政に関わる人々の責任だと思います。
政治は、声をあげることが困難な育代たちの声に耳を澄まして聞いてくれませんでした。
行動することが困難な育代たちのことを,目を凝らして見てくれませんでした。
しかし、司法を司る裁判官は、きっと私たちの声に耳を傾けてくださるだろうと、大きな期待をもって裁判に臨みました。
どうか、障害を持つ人たち、そしてその家族が、安心して暮らしていけるよう、正しい判断をお願いいたします。