トップページ
 > 原告  京都・稲継学さんの代理=父・清秀さん


原告  京都・稲継学さんの代理=父・清秀さん
10.27勝利をめざす会発足集会で訴える

長男の「まなぶ」は1967年に発病しました。

「この子の命は3歳までです」と医師に宣告され、
「乳幼児期以前の非進行性脳病変による移動機能障害、言語機能の消失」の
身体障害者手帳1級と療育手帳A の重度重複障害者となりました。

 「この子を1日でも永く生きさせてやりたい」と決心してから42年がたちます。
生死をさまよう事故も何回かありました。いろいろあった。

学が入れる保育所、幼稚園はどこにもなかった。
はじめて請願運動にとりくみ、重度の子が入れるようになりました。

学校は「就学猶予・免除」で奪われていたので、
与謝の海養護学校づくりの運動に参加し、PTA会長にも努力しました。

卒業の進路はなく、今度は共同作業所づくり運動にとりくみました。
私たちにとって「運動」こそが生きていく証しでした。
みなさんとの「運動」のおかげで、前をむいて生きてこられたと思っています。

本来、社会福祉は、政治の責任で、障害者が安心して暮らせるようにすることです。
なのに、障害者自立支援法は障害者・家族に負担をおしつけています。
権利としての福祉をないがしろにし、障害を理由に利用料をむしりとる。
どうしてもがまんできない怒りを覚えます。

これまで制度のない中で少しずつ「運動」でつくってきたのに、
一丁両断で、首をはねられるような気持ちにもなります。

私たちは、この「運動」に無条件で参加しようと思いました。
家族会議で「学とともにがんばろう」となりました。

私は、裁判所という公の場で、政府に堂々と正論で渡り合えると思うと、胸がわくわくします。
どんなことがあっても、石にかじりついてでも、必ず勝利したい。

京都地裁 原告側制度に憤り