2009.3.25
さいたま地方裁判所 平成20年(行ウ)第35号事件 第1回口頭弁論期日 訴状陳述としてのプレゼンテーション要旨
弁護士・柴野和善
これから、本件訴状の陳述として、その主張の骨子を述べたいと思います。
第1 請求の趣旨とその意味する内容
ここにいる方のうち、7人は、今回、原告となった人たちです。いずれも障がいのある人たちです。
身体障がいのある人。知的障がいのある人。また、これらの障がいを重ねて持っている人もいます。
この裁判は、こうした原告ら7人が持っている「障がい」に対して、お金を負担させる障害者自立支援法が、憲法に違反している。
という判断を求める裁判です。
では、私たちが求めているものを、原告の実際に沿ってもう少し詳しくお話ししましょう。
原告の新井育代さんを例にとって、お話します。
育代さんについて、私たちは、訴状において次のようなものを求めています。
(請求の趣旨をディスプレイ)
この中で中心となるのは「利用者負担額7920円とした部分を取り消せ」というものです。
国や市は、育代さんが受けている福祉について、7920円の自己負担をさせるという決定をしました。
私たちはこの決定を取り消せと求めています。
これはどういう意味があるのでしょうか。
障害者自立支援法29条3項は、次のように定めています。
「介護給付費又は訓練等給付費の額は、障害福祉サービスの種類ごとに指定障害福祉サービス等に通常要する費用につき、
厚生労働大臣が定める基準により算定した費用の額の百分の九十に相当する額とする。」
つまり、障がいのある人が受けた福祉にかかる費用について、
国は100分の90しか支給しません、残りの1割を、障がいのある人に自己負担しなさい、という定めです。
障害者自立支援法は、その成立の前後から、多くの批判を受けています。
その批判を受けて、政府は、自己負担額の軽減を次々と打ち出しました。
しかし、その根本は厳然として残っています。
つまり、利用した福祉の一部分を自己負担させる、という根本はまったく変わっていないのです。
第2「自己負担額」が具体的に意味する内容
このことは新井育代さんの生活にとって何を意味するのでしょうか。
育代さんは、脳性小児麻痺によって、重度の身体障害があります。
そのため、自分の力で動くことも、自分の力で食事をすることも、自分の力で排泄することも、できません。
つまり、誰かの介助を得なければ、生きていくことができません。
そのため、現在、入所施設に入り、24時間の介助を受けています。
日中や夜間の移動・食事・排泄等々、生きるための全ての行動に介助が不可欠です。
にもかかわらず、これら全ての介助・福祉に対して、障害者自立支援法は、自己負担の支払いを求めています。
障害が重いこと対しての重度障害者加算についての自己負担も求めています。
日中の移動や食事、排泄に、お金を払わなくてはなりません。
夜間の移動や排泄をするのに、お金を払わなくてはなりません。
障がいが重いことに対して、さらに、お金を払わなくてはなりません。
つまり、
育代さんは、7920円を支払わなければ、生きられないのです。
これが、育代さんが支払えとされている7920円の意味です。
他の原告についても皆同じです。
原告の中村英臣さんは、両手をとってもらい、ゆっくりなら、なんとか歩けます。
作業所へは車いすです。また、英臣さんは、時々、てんかん発作があるので、常に見守ってもらっています。
障害者自立支援法の下では、そうした日常生活のためにもお金を払わなければならないのです。
原告の五十嵐良さんは、身体障がいがありますが、作業所に通い、豆腐の販売をしています。
ところが、障害者自立支援法は、この障がいのある人が仕事をすることに対しても、お金を払うことを求めています。
原告の林政臣さんは、重度の知的障害や自閉があります。
そのため、かつては、水に対するこだわりは強く、道ばたの水たまりから水分を取ろうとしたこともあります。
筋肉組織を壊すほどの水中毒になったりもしました。
現在も、まだ心配があり、政臣さんがどこかに行くには、必ず誰かが付き添っています。
しかし、これにも自己負担があります。つまり、政臣さんは、近所に歩いて出かけることにも、お金を払う必要があるのです。
原告の西紀子さんは、軽度の知的障害があります。
テレビの番組放映の時間がずれただけで、泣き叫ぶパニックになってしまうことがあります。
そんな紀子さんが、落ち着いて生活を送るために、作業所に通うことは不可欠なのです。
作業所では仕事もしていますが、この通所にも自己負担を求められています。
原告の板垣忠織さんは、最重度の知的障がいを持っています。
忠織さんは、慣れた施設の職員が一緒にいることで、はじめて落ち着くことができ、移動したり、トイレをしたりすることができます。
しかし、忠織さんもこうしたことにお金を払っています。
原告の秋山拓生さんは、重い身体障害と知的障害を持っており、移動・食事・排泄その他一切の行動について介助が必要です。
障害者自立支援法が始まり、こうした人間としての基本的な生活をするにあたって、お金を払うことを求められています。
その理由はただ一つ。拓生さんが、重い障がいを持っているからです。
つまり、障害者自立支援法は、障がい者に「障がいを持っていることに対して」、お金を払わせる法律なのです。
第3 憲法論としての意味
1)障害者自立支援法の二つの憲法違反
このことの憲法論としての意味を述べます。
障害者自立支援法は、日本国憲法に違反しています。
第一に、障がいのある人に対する、明らかな、差別です。
第二に、障がいのある人の豊かに生きるということを壊しています。
この二つの問題について、これから説明を致します。
2) [その1]障がいのある人に対する差別
今、原告それぞれについて、福祉に対してお金を払うという実態をお話ししました。
すなわち、障がいのある人は、障害者自立支援法になって、ごく当たり前に生きていくこと、
移動すること、食べることなどに、「利用料」という名の下でお金を払うことになったのです。
当然、障がいのない人には、歩くことや食べることに、自己負担は、ありません。
人間の生活の根幹そのものだからです。
ところが、障害者自立支援法は、「障がいがあるから」、その人間の生活の根幹にかかわることに対して、
自己負担をしなさいといっている法律なのです。
これは、明らかに、法の下の平等を定め、差別を禁止する憲法14条に違反しています。
人間の生活の根幹にかかわる差別に、「合理的理由」など、なにもありません。
3) [その2]障がいのある人の豊かに生きることの破壊
(1)最低限度の生活の破壊
そして、障害者自立支援法は、この差別の結果、障がいのある人の、健康で文化的な最低限度の生活も壊しました。
障がいのある人は、障がいがあるが故に、収入を得ることが困難です。そのうえ、自己負担を求められ、経済状態が苦しくなりました。
さらに、障害者自立支援法は、「福祉」を「サービス」、すなわち、単なる「商品」としてしまいました。
そして、その「福祉」が提供されるときにだけ、日割りで、施設に報酬を認めるようになりました。
そのため、施設は、障がいのある人が入院しているとき、自宅に帰っているとき、
施設を維持するための人を確保することができなくなってしまいました。必要性があるにもかかわらず、です。
障がいのある人を支えていた施設は、いまや、疲労し、運営難に陥っています。
施設がなくなれば、障がいのある人たちは生活の場を失います。
すなわち、障がいのある人にとって、最低限の生活を維持するための福祉を得られなくなってしまうのです。
(2)障がいのある人の幸福追求権を奪う
さらに、障害者自立支援法は、障がいのある人の幸福追求権も奪いました。
障害者自立支援法は、経済的困窮を招きました。その結果、障がいのある人の楽しみや喜びの機会を奪ったのです。
たとえば、見たい映画を見にいくこと、行きたいコンサートに行くこと、などなど、
それぞれの、ささやかな楽しみすら、許されない状況に追い込んでいます。
また、施設と障がいのある人との結びつきをも、障害者自立支援法は壊しました。
障がいのある人にとって、施設は、自己実現のための社会であり、個人の尊厳が認められたコミュニティです。
障がいのある人は、施設での人間関係に支えられて、豊かな生活ができるのです。
ところが、障害者自立支援法の下では、施設で提供されることが、「商品」としての「サービス」となってしまい、
施設の性格を大きく変えることになりました。
つまり、障害者自立支援法は、障がいのある人たちを支えていた人間関係を
「サービスと対価」という関係に分断し、その関係を破壊したのです。
(3)障害のある人の豊に生きることの破壊
こうして、障がいのある人は、健康で文化的な最低限度の生活ができなくなりました。
人間関係を奪われ、幸福追求すらできなくなりました。つまり、豊かに生きることを破壊されてしまったのです。
すなわち、障害者自立支援法は、憲法25条、そして13条にも違反しています。
4)障がいのある人の権利保障の世界的潮流と障害者自立支援法
ここで、障害のある人の歴史を考えるとき、とても大切な考え方をお話します。それは、ノーマライゼーションという考え方です。
「異常なのは、障がいのある人では、けっして、ない。
障がいのある人を排除する社会、
障がいのある人に普通の生活を保障していない社会、
その社会こそがおかしいのであって、
その正常化のために努力しなくてはならない」
というものです。
これは、今や、障害者福祉の基本理念であり、世界的な理念です。
こうした理念に基づき「障害者権利条約」が国連で採択されました。2006年12月のことです。
2007年9月には、日本も、この条約に署名しています。
この権利条約では、障がいに基づくあらゆる差別を禁止することを謳っています。
そして、いかなる理由による差別にも障がいのある人を法的に保護することを保障しています。
いまや、障がいのある人の権利を保障すること、これは、当たり前のこととされています。それは社会の責務です。
ところが、我が国の、障害者自立支援法はどうでしょう。
障がいのある人が受ける福祉を「益」と捉え、社会ではなく、障がいのある人が負担をしろといっているのです。
障がいのある人の権利を背景とした考え方は、全く見あたりません。
かえって、障がいのある人を差別し、社会保障の給付から排除してしまうような施策が規定されています。
これは、障がいのある人の権利保障の世界的な流れに、明らかに反しています。
5)憲法違反の障害者自立支援法
第4 まとめ―憲法違反の障害者自立支援法
これまで述べてきたとおり、
障害者自立支援法は、障がいのある人を明らかに差別し、幸福追求権、そして、生存権を侵害する法律なのです。
最後に、訴えます。
障がいのある人が障がいを有しているのは、障がいのある人の責任では、決してありません。保護者の責任でもありません。
障がいのある人は、障がいに応じた福祉を受けて、生きているのです。
何も「利益」を受けているわけではありません。まして、贅沢をしているわけではありません。
障がいのある人が、ごく当たり前に生きていくこと、それができるかどうかが、立法府や一省庁の裁量にゆだねられている。
日本国憲法において、そんなことが許されていいはずがありません。
私たちは、障害者福祉の基本理念を踏まえ、日本国憲法に基づいた、正しい判決を求め、ここに本件訴訟を提起した次第です。
以上