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原告  滋賀・Hさん 補佐人 母

しが


 現在45才になるH(本人)は、2300gの未熟児で生まれました。哺乳力が弱く、空腹で眠れず、夜泣きがひどい児でした。たっぷりお乳を飲み、ぐっすり眠れる健康な児とは、やはりこの頃から違っていました。おぶっても背中で反り返るような感じで、子育ての難しさを感じていました。

 生後一年半頃から、てんかんの重積発作が起こってきて、小さな身体で一日20回以上も起こすこともあり、その後は入退院の繰り返しでした。早く集団に入れることを勧められましたが、40年前は、幼稚園の入園を希望をしても、障害があるために、「他の親御さんから苦情がでます」と拒否される時代でした。この子を受け入れてもらえる処は無いのかと思案にくれたつらい日々でした。

 又入学時には、障害学級のある隣の市へ編入して通いました。4年生の2学期に父親の勤務の都合で、A市へ引っ越し障害児学級へ入りましたが、学校の方針になじめず、八日市養護学校に通わせたくて、再度八日市養護学校のすぐ側に仮住まいすることになりました。身体も小さく、ひ弱で、その上薬を飲んで発作を押さえている状態であり、無理のさせられない身体でしたが、学校の近くに住居を移したことにより、休みがちだった校外学習にも毎回参加することが出来るようになり、毎日休むことなく学校に通えるようになって来ました。年令と共に体力もついてきて、引っ越して来たのが、本人にとっても良かったと思えました。
 
 1979年、八日市養護学校在学中、中学2年の頃、卒業後の進路を考える機会を得られ、企業就職など到底無理なこの人たちの働く場(作業所)づくりに取り組むことにしました。作業所の発祥の地である名古屋の“ゆたか作業所”では、障害をもっていても、自分の持っている力を精一杯発揮して、いきいきと仕事をしている処があることを知りました。それも親たちが柱一本ずつでも持ちよってという意気込みで作られた共同作業所でした。それしか無いという思いで、親たちが学校の先生の協力もお願いし、滋賀でも唯一認可施設として長浜で活動されていたひかり園作業所からご指導を受け、場所、仕事を探し、職員を依頼し、利用者の方を呼びかけ、もちろん行政にも協力をお願いして補助を受けスタートを切りました。県下で11番目に出来た作業所です。

 Hはまだ在学中だったのですが、学校の行き帰り作業所の前を通り、学校から帰ると作業所に入り浸って一緒に作業をしていました。
1980年には作業所の連絡会が結成されました。作業所間の交流や学習会が持てるようになり、県との話し合いも重ね、補助金も少しずつ改善されて、県下に無認可の共同作業所が一気に増えて行きました。

 卒業後に行き場が無く在宅にしてしまうことは何としてもさけたいとの思いが強かったと思います。住まいの近くで通っていける働く場(作業所)が、あちこちに出来、厳しい運営で必死でしたが、作業所そのものに体力をつけ、やがて認可施設(通所授産施設)へ発展するのを目標に頑張りました。
 
 1990年頃から、親の高齢化や、本人の自立したいという願いを受けて、ホームの必要性が出て来ます。
 1995年A市で生活ホームをオープンさせます。B生活ホームです。
 1997年にもA市で生活ホームをオープンさせます。C自立ホームです。
 生活ホームとは、作業所等へ通う、障害を持った人たちがキーパーさんの助けも借りながら共同生活をするところです。
 
 1999年にA市B町に開所した“K共同作業所”は9年を経過し、10年目にようやく“NPO法人K”の運営する“ワークパートナーK”となって、D町に移って来ることが出来ました。多くの人たちのご理解やご支援があって実現しました。地域に養護学校を有するだけに毎年卒業生が入所して来られ、現在28人、平均年令が県下で一番低い、若い人たちが多い作業所です。

 Hは、この作業所に、無認可時代のK共同作業所開所時から在籍し、現在に至っています。

 Hは、小さい頃からの自閉的傾向も顕著で、コミュニケーションは苦手です。自分から思いを言葉にするのができなくて、ストレスが溜まるようです。意志の疎通が上手くいかない時、予定が変わった時などパニックになりがちです。ゆっくり話しかければ返事が出来ることもあります。

 それでも作業所は大好きで「明日はネジの仕事がある」と勇んで出かけます。まず休むことなく、我が家で一番働き者だと家族に認められています。毎日働きに行ける処があるということは幸せだと思います。

 「給料もらった。又外食できるね」と喜んで帰るHの生活収支は、給料12,000円と年金66,008円の収入に対し、生活ホームでの生活費55,000円、自立支援法以後必要となった事業所利用料1,500円、昼食代4,500円、ホームヘルプ利用料の移動支援等月2回2,760円をはじめ、国民健康保険料、また時にはカット(散髪)もさせてあげたいですし、などなど出費があり、最低限に押さえても、収入とほぼ同額が出ていきます。今の処医療費は免除されていますが、着る物、自宅での食事(金・土・日)こづかい等々、全て親の負担になっています。自立して生きていくには程遠く、親の不安はつのるばかりです。

 自立支援法の施行により、支援の1割負担が厳しいだけではなく、障害者を受けとめる作業所も大変な状況にあります。補助単価が下げられ、日額支払になったことにより事業所の収入が減り(30人規模の施設で年間700万円以上)そしてその影響が職員の労働条件を厳しくすることとなり、離職者が増え、利用者に対する質の低下につながりかねません。障害の重い人が増え、一人でも職員の増員を望む現状にあっても、労働条件の悪化で職員の確保も難しい状況です。

 K作業所にとっても、利用者にとっても、例外ではなく、職員増が実現できるような補助単価の改善を切に望みます。
 
 だれもが社会の一員として大切にされる社会こそ、人間らしく生きていける社会であり、支えが必要な人も、人間らしく生きることの出来る制度になることを願います。

 このような「応益負担」を含む自立支援法のあり方を、司法の場で問いたいと提訴致しました。