真輔は1978年5月に生まれました。現在30歳になります。生後11ヶ月目に「体感機能障害」と診断を受けました。
その直後からボイタ法による訓練を開始し、訓練によって「お座り」「腹ばい移動」「つかまり立ち」など目を見張るような成長をしていきました。
しかし、その喜びもつかの間、2歳前に高熱を出し「てんかん」発作をひきおこしてしまったのです。
薬が合うまでの数年間は昼夜をとわず、本人も家族も発作に苦しめられる日々が続きました。
てんかんにより、運動機能の低下と知的発達の遅れを伴っての成長となっていったのです。
現在も今後も『抗てんかん剤」は必要不可欠な命綱となっています。
養護学校卒業後、授産施設に進んだ真輔でしたが、
より手厚い支援を受けられるよう療護施設サンシャインいきいきに通うようになり、現在にいたっています。
いきいきでの真輔は文字通り「全介助」で常に見守りが必要です。
真輔は、牛乳パックを再利用して、ハガキなどを作る作業班で仕事をしています。
真輔の仕事は牛乳パックのビニールをはがすことですが、1人でははがせないので、職員が一緒に力をあわせてはがしていきます。
それでも気分が乗らないときは、机の上にうつぶせになったり、タオルなどの持ち物を投げてしまうことがよくあります。
また、気になることが出てくると一人でイスから立ち上がって、食堂のほうに歩いていくことまであります。
仕事中いつも職員の見守りが必要です。
家でも自分の思いが伝わらないときなどは、自分の頭をたたいたり、周りにあるものや持っているものを投げたりと、
パニック状態に陥ることが度々あります。
仕事をする以外に、給食を食べたり、トイレに行ったり、何をするにしても真輔には介助が必要です。
給食では嫌いなものも多いのでなかなか食が進みません。自分でスプーンがもてないので、職員が全て手伝っています。
でもいったん口に入れても言葉とともに、吐き出してしまうことが何回もあります。
口の中のものを飲み込みやすいように、とメニューはいつも刻み食になっています。
また、「お茶を飲んでもらって飲み込みやすく」工夫しているのですが、真輔の周りはご飯だらけということがよくあります。
約1時間の食事中、職員が交代でずっと食べさせてくれています。
移動も一人ではできません。平らなところでもつまずいてこけてしまうからです。
家でも少しの段差につまずいて、3針も縫うけがをしたことがあります。
なのに1人で立ち上げれるので、勝手に歩き出してしまうことがあり、ほんとに常時職員がとなりにいるという状態です。
このような支援を受けるためには当然多くの職員が必要で、そのために高額の支援費が支払われてきました。
障害が重いため、当たり前に生活するために支援がたくさんいるのです。
でも自立支援法によって、たくさん支援が必要なことが多額の利用料になってはねかえってきました。
日中の支援だけでは生活は支えきれません。幼児期から現在も夜中に4〜5回おしっこの訴えがあり、そのたびに私も起きています。
この状態がこの先も続くと思うと、親自身の体力低下に不安も感じています。
また、仕事のため「ホームヘルプ」「ショートステイ」は欠かすことができません。
我が家の家庭生活は居宅支援によって支えられているといってもよいでしょう。支援なしには本人・家族の生活は成り立ちません。
2006年4月施行の自立支援法により、利用料「原則1割負担」を課せられ、利用を控えざるを得ない状況になりました。
真輔に対するいきいきでの支援費総額は、20万円以上。1割となると2万円を超えます。
減免の対象になったので、いきいきの利用料負担は7500円に減額されましたが、
10月にはホームヘルプなどにも1割負担が発生し、負担総額は1ヶ月で最高20850円となってしまいました。
家族の仕事や外出で、利用せざるを得ないヘルプも多く、きりつめてもこの金額の請求になってしまいました。
それまで当たり前だった生活を変えることは本人・家族にとって耐えがたい苦しみとなっていきました。
休みの日に今までは楽しみだった外出を諦め自宅で過ごさなければならないことは、
大げさに言えば親にとっても子にとっても地獄のような状況でした。
私も家の用事で忙しくて、真輔の相手をできないときがよくあります。
なのにホームヘルプが使えなくて外に出られないとなると、真輔は本当にパニック状態になってしまいました。
この様子を目の当たりに見て「自立支援法は、生きていくための最低限の生活を脅かす制度である」と感じています。
障害があるがゆえに社会的な支援を必要とする本人家族にとって「応益負担」は生活を破壊する制度です。
真輔は将来に渡って多くの支援がなければいきていけません。
親亡き後もこの子が安心して生きていけるよう、応益負担自体をなくしてほしいと思っています。
いくら軽減されても応益負担という仕組みが残ったままでは安心できません。